大坑はもともとは「大坑口」と呼ばれていました。 「罟」とは人力で網を引いて魚を捕まえることを指します。大坑とは大きな河を指し、昔は宜蘭河の河口近くに位置していました。住民は沿岸部で網を張って魚を捕っていたため、大坑口と呼ばれていました。
大坑沿海は砂地で、住民の人々は主に漁業で生計を立てており、次いで農業となっています。地元の漁師は海岸沿いで竹のいかだでよく漁をしており、伝統的な漁網は今でも使われています。
昔、大坑と頭城の旧市街は河川で隔てられていました。 1924年(大正13年)に洪水により頭圍港が水没し、新たな陸地が確保されたため、両岸を行き来するのに船に乗って川を渡る必要がなくなりました。